向島の家

本計画は新型コロナウィルス及び、それに端を発するウッドショック真っただ中に計画された住宅である。フィジカルなコミュニケーションが避けられる風潮がある中、新たに本土から島に移り住む家族にとっていかに周辺との関係性を築いてゆくか、また、日々高騰する材料費を吸収するために、2世帯住宅として可能な限り面積を抑えつついかに広がりや豊かさを確保できるかが求められた。

尾道水道を挟んで対岸にある向島。計画地は海岸から1kmほど離れた内陸部(縦断距離が3km程度なので十分内陸と言える)の山裾に位置する。近くの主要道路は明治初期までは満潮時には島を南北に船で往来が出来た入り江であったことから、古くは半島の先端であったということが容易に想像できた。計画地を境に、山側は緩勾配の地形を道に沿って個別にゆっくりと造成されたと思われる緑の多い風景が広がる一方、平地側は田んぼを分筆して宅地にした比較的小さな庭付き一戸建てが建ち並ぶ。敷地の目の前もまた、これから分譲されるであろう土地が広がっている。
このように建ち方や時間軸も異なる風景の結節点にあったどっちつかずの空地は、擁壁を背負う里道と合わせて、前面道路に対してほどよい広がりを持っていた。その場所に、まったく新しい要素を持ってくるのではなく、既に存在する周囲の多様な状況をひとつひとつ繋げ合わせるような建築を提案した。

平地側に並ぶ数件は間口が狭い。そのリズムを壊すことのないよう、平地側には間口の狭いリニアなボリューム、山側にはやや間口を広げたボリュームの2棟構成とした。その上で、一部に周辺と勾配や色味を揃えた切妻屋根をちょんとかけることとした。2階では山側の隣地基壇と連続するよう大きく床を伸ばし、壁面を450mm浮かせて地窓をぐるりと設けることで水平の抜けを確保した。床は、1階において大きな庇となる。庇のエッジラインは里道に沿って北西の交差点方向に来訪者を迎え入れるように膨らんだ後、クレバス(階段室)へと角度を変えながら吸い込まれていく。クレバスでは、地窓に付き合って浮き上がった床や平行四辺形に歪んだブリッジ、こぼれ落ちそうな食器棚等、風景から各々決定した要素がぶつかり合いながら不自然に共存している。そして、それらに呼応するかのように手摺や大きな円弧窓は自由に伸びやかに存在する。

公の土地でありながら限られた人しか利用せず、擁壁によってほどよく囲まれた里道を計画に取り込むことは必然であった。
大きな庇の下では、里道に対して土地を提供するかのように外壁を雁行させることで場をつくり、さらに庇を支える柱と方杖を南北で互い違いに配置することでリズム感や表情を生んでいる。2階では階下に里道を垣間見つつ、さらにそれを飛び越えて遠景へと視界が広がってゆく別の関係性を築き上げている。境界を超えて繋がる広がりは、家族が新たな土地で地域に対して能動的にかかわっていくという意思であり、深い軒と雁行する外壁、明示しない境界となって表れている。いうなれば「庭付き」ならぬ「その辺付き一戸建て」とも言えるこの住宅で、周辺住民をも巻き込んだ家族2世帯の生き活きとした日々が紡がれていくことを期待している。

向島の家
用途   / 2世帯住宅
延床面積 / 122.87㎡
最高高さ / 7.29m
構造   / 木造

PHOTO  / YASHIRO PHOTO OFFICE

(*はHaMAo撮影。)